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京阪沿線に住み始めて1ヶ月が過ぎました。(2005年5月現在)まずは路線図をご覧下さい。大阪人は門真の教習所に免許更新の際に、古川橋を利用するくらいでしょうか。ただこういった見方は、大阪(梅田)を中心とした見方であって、京阪の視点とは全く異なるものです。まずは社名ですね。京(京都)阪(大阪)です。阪京ではありません。現在の阪急京都線は、京阪が建設したことをつい最近知りました。京阪の歴史を見ると、阪急の歴史を垣間見ることが出来ます。阪急京都線に中津駅がない理由、淡路駅の1号線ホームがない理由など・・・端的に申し上げますと、京阪沿線は関西の大多数(英語で言うmajority、汚い言葉で言うと「一般大衆が考えている多数」)ではありません。それは、梅田・大阪駅から直接つながっていないからです。直結していたら戦後の京阪沿線の歴史は変わっていたでしょう。関西の大手私鉄の中で唯一プロ野球を所有しなかった京阪鉄道について書いていきます。
京阪沿線ってどんなイメージがありますか?挙げられるものとしては、枚方パーク(ヒラパー)、松下電器、三洋電機などでしょうか。特に西三荘から古川橋あたりは、松下関係の建物が嫌というほど電車から見えます。
1910年(明治43年)に五条-天満橋間で開通しましたが、守口変電所の故障で開業が15日遅れるというオマケつき。京阪の将来を暗示しているかのような出来事です。電車が発車すると思ったら、始発電車、車両故障で立ち往生し、開業から3日間は半額という前代未聞のサービスをやっております。京阪の命で華であった、菊人形について書きます。京阪電鉄は香里園に9万3,000uの土地を購入し、香里遊園地を作りましたが、人気はありませんでした。そこで東京両国国技館で有名だった菊人形を名古屋の黄花園と契約してスタートしました。香里遊園地は住宅用地として販売し、現在の枚方公園駅で土地を買収し移転、有能な人形師を招き全国的に有名になりました。ヒラパーと名前を変えてからも、菊人形だけは続けていました。しかし、後継者不足、人気の低迷が続き2005年に幕を閉じることになりました。
話は変わりますが、漫才師の中川家は古川橋の出身。京阪電車の車掌のモノマネは生まれつきに身についたものなんですね。ちなみにますだおかだの増田は天満橋、FUJIWARAは香里園、雨上がりの蛍原は大和田です。
京阪沿線に住みだして数ヶ月が経ちました。(2005年10月時点)ただ単に住むには不自由はありません。でも一段上のサービスを求めるとやはり劣る部分があります。道が狭くて、都市開発がほとんど進んでいません。守口、門真、大東と言えばはっきり言って工場労働者の町です。松下、三洋の関連会社が多くあります。なかなか開発に理解を得ることが出来ず、狭い道を残したまま、そのまま放置されているのが訪れるとはっきりと分かります。特に守口市から京橋までの各駅停車しか止まらない駅(具体的には土居、滝井、関目等)は、狭い道が多く、古い家も多いです。いい意味で下町ですが、計画的に開発ができなかったのでしょう。それでも松下、三洋の雇用の受け皿として機能していた時代はまだ税収入が沢山ありました。しかし、グローバル化が進んだ結果、単純労働作業は中国など諸外国にとって変わりました。離れることもできず、古くて狭い家に仕方なく住んでいるというイメージ。国道163号線沿いを走るといつもそう感じます。
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